
2026.01.15その他
「この私、きれいじゃない?」
そう思って選んだ写真ほど、案外、周りには選ばれない。
自分では、
「私、これじゃない。もっときれいなはず」
そう感じてしまう。
一方で、
日常で私を見ている友人や家族が選ぶのは、
私が思い描く「きれい」とは少し違う一枚だ。
けれどその違いを、
否定する気にはなれない。
そこには、私には見えていない何かが、確かに写っている。
一方で、
私自身も同じことをしていると気づく瞬間がある。
自分が選ばれなかったときに感じていた違和感と、
同じ構造のことを、
私は別の立場で繰り返しているのかもしれない。
同じ「きれい」という言葉を使っていても、
立っている場所が違えば、
見えているものは変わる。
自分が選ぶ一枚には、
こう在りたい、
こう見られたい、
そんな思いが静かに重なる。
他者が選ぶ一枚には、
日々のふるまいや空気感が、
ほとんど無意識のまま残る。
では、その写真は、何のための一枚なのだろう。
婚活のためなのか。
就職のためなのか。
仕事の場で使うものなのか。
目的が変われば、
求められる視点も変わる。
写真選びに迷うのは、
自分の感覚が鈍っているからでも、
センスが足りないからでもない。
ただ、
どこに立ち、
誰に向けて選ぶのか。
その視点が、まだ定まっていないだけなのかもしれない。
どの一枚を選ぶかは、
今の自分が、
どんな役割を引き受けようとしているかで変わる。
写真は、
そのことを、
思いのほか正直に映している。