
印象は、本質ではありません。
印象とは、脳がとりあえず置く“理解の入り口”のようなものです。
人は、強い面も弱い面も持っています。硬いところも、柔らかいところもある。
けれど最初に貼られた印象によって、見られ方は大きく変わります。
強そうに見える人が少し弱さを見せると、「本当はああいう人なのだ」と言われる。
逆に、弱そうに見える人が強さを見せると、「実は強い」と言われる。
どちらも持っている分量は同じかもしれないのに、印象の反対側にある面の方が「本質」のように扱われることがあります。ここに、印象の力があります。
ただし、印象は常に“素”から始まるわけではありません。社会的なラベルが先に貼られている場合、その影響は大きい。
たとえば、ある肩書きを名札として掲げた瞬間、冷静、知的、優秀――そんな物語が先に立ち上がる。あるいは、「親」「先生」「新人」といった立場で場に出れば、その人そのものよりも先に「らしさ」への期待が働く。
このとき操作すべきなのは、すべてを崩すことではありません。
すでに有利に働いている印象があるなら、それと矛盾する要素を強く出さないことが大切です。期待と整合を保ち、不要な悪目立ちを避け、受け取る側を迷わせない。その印象が、いま立っている場の目的に対して有益であるなら、無理に変える必要はありません。
調整が必要になるのは、場が求めている温度と既存の印象にわずかなズレがあるときだけです。たとえば、冷静で優秀という物語がすでに準備されている人が専門的な判断を求められる場に立つなら、そのままでよい。しかし同じ人物が不安を抱えた人たちと向き合う場に立つなら、冷静さの角を少しだけ丸める必要が出てくる。
ここで重要なのは、別人になることではありません。もともとの印象に含まれている要素の中から、その場に整合する側面を前に出すこと。無理に作り替えるのではなく、扱い方を選ぶということです。
ブランディングは、ここから先の話になります。ブランディングとは、目指すゴールに到達するために、自分をどの状態でどのレイヤーに置くかを選ぶことです。どのラベルが先に立つ場所に身を置くのか。その配置を自分で決める。
ただし、社会的に与えられている立場とも、もともとの自分の印象とも、無理のない範囲で整えていく。印象を無視するのでも、迎合するのでもありません。どこで、誰に、どう扱われたいのかを決め、そこに整合する状態を選ぶ。その設計が先にあり、色や質感の調整はその後に来ます。
印象は消せません。けれど扱い方は選べる。それを決めているかどうか。今、私が考えているのはそこです。